能登地震の実態

投稿者: osadatakuya 投稿日:

 第二陣の支援から一旦帰ってきました。かなり多くの問題や課題が表面化してきていて、今回は少しヘビーな内容になります。

志賀町原発です。今回の第二陣では放射線量の計測をしています。石川県のHPにも線量の測定結果を随時更新していますが、福島県のwith放射線地域に住んでいる我々にとっては、やはり自身の目で確かめることが一番重要だという教訓があります。

放射線の空間線量の測定の様子です。まあ、公表されている数値はあくまで「その地点の空間線量」になりますので、放射線の測定は継続的に広範囲の測定が必要です。場所、方角、高さによって線量計の示す数値は違います。誤差もあるとは思いますが、公表されている数値の3倍くらいの数値が出た地点もあります。

 現地で多くの方にお会いして話をしてみると、やはり放射線への心配をされている人がほとんどです。積み重ねた歴史や文化を避難という言葉で簡単に崩してしまいますからね。その重みを考えると、我々が一番力を発揮できる支援は「原発関連に対する教訓を伝える、調査する」といった支援が一番だと考えます。震災に関しては、ちょっと先輩風を吹かせてしまっているような気がしますが、地震も原発も身近にあるため情報や原発後の営みの現状を共有すべきです。先日、千の公器プロジェクトという場で講師をした時のプレゼンの資料をご覧になるとドロドロの内容が見れます(笑)「天災と人災、命と金」をより感じることができると思います

 私たちはこういった活動をしていて、放射線に関わることに対し様々な視点で活動を行っています。放射線が降り注げば、必然的に人はいなくなる、いわゆる人為的な過疎化が起こりますし、産業も衰退し消滅します。山の恵みは一切消えます、川の魚の食べれません、農業も相当厳しい、キノコは食べれない、避難すれば野生の動物が爆発的に増えます、山には放射線がびっしりです。目を疑うような数値が出てきます。人のコミュニティは消滅し、組織もたまに会う近所の人とも離れ、挨拶すらできない環境になります。伝統も祭りもなくなります。残る歴史は「原発でなにもできなくなった」という事実だけです。それを福島のwith放射線地域はすでに体感しています。行政のHPなどを見るとそんなこと微塵も感じられないような内容ですが、そんなことはないです(-_-)  村ではこんなことをやっています!!こんな事業にはこんなに補助金を出します!!とか・・。そもそも人もコミュニティもないのに・・。バタバタ動けば動くほど虚しくなるような政策を目の当たりにしているわけです。

 話は少し変わりますが、面白い話をご紹介します。

「北陸と福島のルーツ」の話。
江戸の時代に”天明の飢饉”というのがありました。5年くらい続いた飢饉で、多くの人が生きるために土地を探して移動していたようで、北陸地方の人が福島に入植していたみたいですね。地元の方で先祖の家に支援物資を届けてきたって人がいるのでそうなんでしょう。もちろん当時は「お忍び」で入植するしかなので命がけの移動だったのでしょうが、私も村の行政から通行証明書を発行してもらえなかったのでお忍びみたいな支援をしていたわけです(笑)何か通じるものを感じます。そして、震災と原発という共通点です。偶然なのか、因果関係があるのかわかりませんが、北陸と福島には「苦境」から縁があるのかもしれませんね。

 今回はこの辺で

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1件のコメント

菅沼栄一郎 · 2024年1月26日 10:45 AM

長田さん、お疲れさまでした。で、線量計などは現地(志賀町、金沢市)に置いてきたのですか?現地では、継続的に空間線量などを計測する体制(の基礎)は、でき始めているのでしょうか?本田先生訪問の緊急性は下がったのでしょうが、福島の飯舘村を知る医師も含めた、継続的な協力体制はやはり今後も続けていきたいですね。先行した民間団体への、国や県の資金バックアップは遅れると思いますが、現地のライオンズクラブなどと連携して、財政的な継続基盤も同時にやっていきたいですね。

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