能登半島震災支援の間に

投稿者: osadatakuya 投稿日:

今日は少し違った視点でブログを書いてみます。

阿武隈クラブとして震災の支援をしていても、法人の活動や目先の仕事や収入というのは確保しなくてはなりません。私の場合は支援に通っている状況で、炊き出しや毎日必要であろう支援に関しては、なかなかできない部分になります。もちろん、物資を運んだり、供給することはできる範囲でやっているのですが、現場に張り付いて支援するということが残念ながら我が法人にはできる力がありませんでした。 このブログでも何度か話をしていますが、「教訓を支援する」これが阿武隈クラブのストロングポイントになります。

 では、福島に帰ってからは何をしてるんじゃい!!って話になりますが、別動隊が動いていて、やることはたくさんあります。飯舘村のように過疎化が進んだ地域では仕事はパラレルに持つことが重要です。

これは放射線に汚染された里山を回復させていこうということで、地元の方々と山の視察をしている様子。須須神社の近くもそうなんですが、山を管理する人がいないと、山が荒れて土砂崩れが起きたり、害獣が増えてしまって農業ができなくなってしまったりすることがあります。この山の斜面にツツジを植えて景観のきれいにしましょう、山に入れるようにしましょうということで「山に歩道を作ること」が私たちに依頼された仕事になります。

こっちは事業継承を受けたキノコ生産の現場です。この写真は原木シイタケの写真ですが、実際に出荷するのは菌床シイタケになります。
 子供達でも駒うちはできますし、意外と役に立ちました(笑)

今年から原木シイタケの出荷ができそうなんですよね。6年間も原木シイタケの出荷に向けて努力を重ねてきた工藤さんが、出荷可能なセシウム規定値まで下げることができました。なんかこんなことを書くと、福島産のシイタケにばっかりセシウムが入ってそうな雰囲気がありますけど、ほかの地域でも放射線量というのは含まれます。自然界には必ず放射線がありますので、その規定値というのが日本では決められていて、その基準値を工藤さんのキノコはクリアしているということになります。風評被害になったりしますので、詳しく知りたい方はご連絡ください(笑)

もうちょっといい写真がなかったのかと思いますが、新聞にも掲載されていました(笑)震災の支援をしているといろんなところから取材があったりして、新聞やネットの記事に書かれたりしているんですけど、こういうメディアに訴えることも震災支援には重要な側面だったりします。影響力をもって活動することは次の震災に備えることでもあります。このブログを書いている日にちと新聞の記事は少しフェーズ違いなところもありますが、事実を伝えて議論を重ね、実行して実現させていく。これが進歩だと考えます。組織や人材という存在のみに慢心せず、結果を出す努力をしていきたいですね。

 とまあ、このほかにも大工の仕事をしたり、便利屋さん(べんりやぎー)の営業をしたりとやることはたくさんあります。忙しくなるために忙しく動く、みたいな感じですかね。

べんりやぎーをよろしくお願いします(笑)

こんなアクシデントにも見舞われるし(´;ω;`)ウゥゥ

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2件のコメント

菅沼栄一郎 · 2024年3月1日 8:54 PM

珠洲市と飯舘村、奥能登と相馬が、北陸と福島が将来連携するきっかけができないか。と考えています。能登のカニ漁と飯舘のシイタケ栽培の季節連携。線量計の携帯習慣など、原子力事故防衛に強い県民性の養成。など、構想ができないかと、考えています。

    osadatakuya · 2024年3月1日 9:41 PM

    菅沼さんのように言葉として文字としてコメントをいただくと気づかされることが多いですね。結局のところ一次産業者というのは一つの場所にいる必要はないと思います。旬のものが気候によってことなりますからね。ひろゆきさんにもPowerPointでお話したこともあるんですが、一次産業者は遊牧民のような生活のほうが適していると思いますね。被災地の連携を図りながらも人間が移動して生業をしていく方向性も考慮すべきかもしれません。まあ、旅人のような生活になるかもしれませんが、生産者が足りない日本にはこれくらいの発想はあってしかるべきですね

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