能登半島 今後の支援の形

投稿者: osadatakuya 投稿日:

2月20日~23日まで再び珠洲市にいきました。
※今回はあまり写真を撮っていないため文章が多くなりますがご了承ください(´;ω;`)ウゥゥ

 能登半島の震災から50日くらいが経過しましたね。珠洲市の風景はあまり変わっていませんが、徐々に走りやすい道路になっていたり(応急処置ができている)、物資不足に不安を感じることもなくなってきているように思います。

実は今回、須須神社に来たのは【地元の区長さんを集めて集会】をするためです。現状のこと、これからのこと、不安なことなんかを吐き出してもらいたいと思い、須須神社の禰宜である猿女さんにセッティングしてもらいました。なかなか意見は出ませんでしたが、非常に意味のある内容でした。ベラベラと私が話をしてしまったのですが、東日本大震災の教訓を少しでもお伝えしなくてはなりません。また表題にもありますが、支援の形も変化していく必要があることをお伝えしました。

支援の形とは・・

支える支援から自立を促す支援に代わっていくということ

です。

 物資は行政ラインの物資が届くようになりました。民間の物資提供はそんなに長くは続けられません。被災者が自立できるような支援に切り替えていく必要があるんですね。ヤマト運輸や佐川急便も被災地に入れるようになって、スーパーにも物が並んでいます。確かに足りないものはたくさんあるのですが、何年も配給されてばかりでは被災地のためになりません。これからは、仕事をしたり、経済活動をすることが必要になりますので、産業を作ったり、企業を誘致したり、生業を戻していかなくてはなりません。

 もちろん、寺家の地域も過疎化の波があって、震災によって過疎化に拍車がかかってしまいました。二次避難者の増加もあり、マンパワーが圧倒的に少なくなっています。これからどうしたらいいのか、何をしたら人が返ってくるのか、漁師さん視点でいえば海岸の隆起によって船が出せるのか、など不安は尽きないでしょう。避難生活で命に係わる不安はだいぶ解消してきていて、将来を考える時間は多くあります(避難生活は意外と時間を持て余します)。そこから、将来の不安を解消するには明確なビジョンを持つことが必要ですが、なかなか思考をシフトするのって難しい。まあそんなことで少し集会を開いて、状況を聞くことも大切ですが、現状を感じ取ろうと今回集まってもらったのが主旨ですね。

そのあと、寺家で漁師さんや地元の方、須須神社の方、石浦神社関係の方々と鍋を囲んでお話をしました。

猿女さんが正座してて説教されてるような絵になってしまってますが(笑)

こういう場ってめちゃくちゃ大事だと思っていて、ある意味で「真剣さ」を感じることができます。この話し合いをするために何時間も運転してくるんです。もちろん笑い話もしますが、建設的な話もかなりある。被災者も支援者も同じ鍋のメシを食って、これからの話をしています。今回はかなり濃い話が出てきました。

 震災によって、支援の形が変わっていく。被災地の状況が変わっていく。思考が変わっていく。時間の大切さが痛烈にのしかかる。だから労を惜しまず人が走り回っている。能登半島の端っこで、また有意義な時間を過ごすことができた。

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