FUKUSHIMAの話

投稿者: osadatakuya 投稿日:

先日行われたシンポジウム

久々にFUKUSHIMAについて。福島とFUKUSHIMAは違います。ん?なにいってるの?って思う人もいると思いますが、これは原発の話になるかどうかで区別できる(と思っている)。私が住んでいる飯舘村は10年以上も前に放射線が降り注いだ村で、多くの物事が失われて多くの専門家がこの地を訪れる、いわば、社会的意義のある場所です。

私は2021年に飯舘村に移住して、2023年に一般社団法人阿武隈クラブIITATEを設立。村づくりや、様々な問題に着手、奔走中です。

ちょっと酸っぱかったみたい😆

シンポジウムが行われて、色々な情報を聞きました。役場では知らされなかったことも多くあり、危機感が100倍に増幅ww この村は大丈夫かな?なんてことを考えたり、まあ山に入らなきゃ問題ないだろうとか考えたり。放射線の話は色んなところで議論されていて、正直いって政府も耳が痛い話だろうと思う。情報の精査もできないうちに避難解除したのかもしれないし、根拠があって避難解除をしたのかもしれない。政策も村政もビジョンが見えないので補助金助成金でごまかしてる感が半端ないし🤣 付かず離れず、ほどよい距離感を保って原発地域とは接していこうという政策のようにも思う。あと20年我慢しましょう的な(笑)
とはいえ、悲観的でも無関心でも人の営みがある限りは平等ではなくても人権がありますから、不満爆発まではいかないようにコントロールしてくるでしょう。そんな地域に住んでいる我が家です。

今年避難解除された大熊町でコットンプロジェクトに参加

最近はこういった近隣の原発地域で活動することもあって、多くの人と接しています。東京から来ている人も多くて原発事故がなければ訪れることもなかったのかもしれませんが、出会うはずのない人に出会えていろんな話をしながら楽しく作業させてもらってます。のぼりの旗とか看板とか、すごいクオリティで仕上げてくるんだよね笑
来年も一緒にやりましょう!

大熊町の地元の方と

 飯舘村では2年以上が経って、いわば「できること、できないこと、何年もかかること」この辺りの色分けはできるようになりましたね。要はどんなプランで進んでいくかをある程度の精度でできそうです。 例えば、村政なんかは移住者ではどうしようもなくて、仕組みに関することは半分諦めている。もっとこうしたほうがいいのに、とかそーゆーことはあまり考えても、プレゼンしても、ほぼ響きません。これはそーゆー自治体だったということ。まあ大人の事情です。だったら偉くなれ、みたいな何年もかかることが確定していて、偉くなる可能性にかけるということになる。この辺りの市町村は高齢化でそんなに時間もかけられませんし。
【高齢化の地域における政策はフットワークが重要】という辛すぎる現実。じっくりやりましょうって風潮は思考としては逆なんですよね🤣 はやくやんなきゃね笑 人生は有限!!

 避難した人も戻ってこない現実があって、行政という一番大きな組織もボトムアップなんていって民間に訴えていますが、予算組むのも遅いし降りないし、ほどよい距離でのご対応です。高齢化に原発を乗せてきたこのFUKUSHIMAは今後どうなるのか!

そんな物語を私たちは今あるいているわけなんです。とはいえ、辛いだけじゃなくて楽しいこともいっぱいあるし、退屈でもなくマンネリもしない。ちょっと心配があったりするのは人間みんなそうでしょう。小さな村にいて、広い視野を持つ。高齢化の地域でフットワークを使う。相反するようだけど、これが均衡を保つってこと。バランスを取ることは物事の基本で、身体のバランスも同じ。薬を飲むのも、ホルモンバランスも同じで、きっと村も同じなんだと思う。足りないところは補わなきゃならない。それが金なのか、労力なのか。今までの政策なんかを見ているとやはり、行政に不信感がでてしまうこともあるんですよね。

このイス?1600万です🤣

なんも知らずに子供たちの写真をとったんですが、道の駅にある公園のモニュメントがなんと1600万オーバー。本当に笑うしかないんですが、平気でこんなことやっちゃうんですよね。意味がないとは言いませんが、意味がわかんないですよね。住宅がなくて移住できない人もいるのに。後ろの建物も何億かけたかわかりませんが、子供の遊ぶところです。ちなみに村内では歩道がないところが多くて子供たちだけでいくことはできず、ダンプが永遠に走っているので、車でしかいけません。近くに子供たちが遊ぶ公園作ってくれー😭
という村政なんです。泣けてきますよね笑 かわいそうな地域のようで、金使いは荒いなんてもんじゃない。これを指摘する人もいない現実。んー、どうするつもりなのか。

FUKUSHIMAのイメージはあまりいいものではなくて、復興のために動いている人にはちょっと厳しい内容だったかもしれません。私も住んでみて初めてわかったことで、あまり気の進む記事ではないのですが、FUKUSHIMAの歴史は黒い歴史でもあります。私のような一般庶民には関係ないことが多いですけど、原発から歩んできた12年の中にはこんな歴史もあるということを記事にしてみました。


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