能登半島 珠洲市へ#2
前回の続きになります
やはり津波は心が痛みます。今回の津波はあっという間に来てしまい、どうすることもできませんでした。震災は誰のせいにすることもできませんので、本当につらいものですね。
今回、私たちが珠洲市を訪れたのは、輪島市などの支援でご縁があった方に珠洲に行ってもらいたいといわれここに来ました。須須神社です。
この須須神社は2000年以上の歴史を持つ由緒ある神社です。ここの神主さんが地域のコミュニティを形成していて、4か所の避難所や個人宅への支援に奔走しています。本当に頑張っていらっしゃいます。
神社の中を案内していただき、歴史の深さを知るとともに、この震災を何とか乗り切りたいということを神主さんはおっしゃっていたのが印象的です。そうですよね、2000年以上の歴史です。高齢化が進もうが、震災が起ころうが何としても守らなくてはならない重みがこの神社にはあります。
もはや、言葉にならないです。歴史を重んじる人類に対して、自然界の洗礼。試練というには残酷すぎるほどの状況でした。我々にできることは何でもしましょうと誓った瞬間でしたね。チーム飯舘で頑張って支援していこうと。
今この悲惨な状況を目に焼き付けておこうと、朝日が昇るころに私たちは神社を見て回りました。須須神社の神主さんも朝日が昇るころには神様の前でお祈りをしていました。避難で周囲には誰もいない、建物は崩れていて、参拝者も来れないだろうこの神社で神主さんが経をよんでいる姿を見ると胸が苦しくなります。 ・・マジで頑張りましょう
基本的に堤防に上ってしまうのが私の性格。朝日が気持ちよくて、この日は珍しく晴れていました。そういえば、支援で来てからあまり晴れた日に遭遇していなかったように思います。イチゴの支援をしてくれた谷中農園の谷中君も北陸は日照時間が足りないからイチゴの栽培は大変だろうっていっていましたね。日の出も遅いですし。
津波の後は泥も多いし、瓦礫の山もある。地形が変わってしまい漁師さんの船もほとんどが使えなくなったそうです。高齢化も進んでいて、飯舘村の感覚ととても似ているし、マンパワーが足りていないのは一目瞭然です。これから復興をしていかなくてはなりませんが、東日本大震災の教訓から”復興のやり方”を間違えないことが重要です。そんなことを須須神社の神主さんと話しました。ちゃんと地域の人で復興の絵を描かないと、街がきれいになってハイおわりーみたいな復興になってしまいます。地域によって環境が違いますから復興についてしっかりと考えないといけません。避難所生活で疲れてもいますし、まだまだ仮設住宅にも入れていない状況ですからそんなムードにもなっていませんが、1歩目がとても重要だということをお伝えしました。宮城、福島で東日本大震災の教訓を持つ私たちができる支援はこれからなのかもしれません。そんなことをお話しして我々チーム飯舘は福島に一旦撤収です。
しかしきれいな海だなー
1件のコメント
菅沼栄一郎 · 2024年2月13日 8:41 PM
こういう、肩の凝らない書き方は、力まない書き方は、読む人の心に、スッと入ると思います。