珠洲から東日本大震災の現場視察 ~番外編~
お粗末なブログをいつもご覧なっている方々に感謝をしつつ、今回は番外編です。
飯舘村~珠洲市まで約700キロくらいあります。移動時間にすると8時間以上はかかりますので、まあまあな体力を使うことになります。視察のために来られた多田さんも長い運転で三陸まで一気にとはいきません。ということで、
多田さんに飯舘村で一泊してもらいました(笑) 阿武隈クラブの代表である小林美恵子、造園業の塚越さん、村のお医者様の本田先生、東京からジャーナリストの菅沼さん、須須神社の神主の多田さんに私という面々になります。
実はこの日、3月26日は飯舘村では大雪でした(; ・`д・´)マジカ まあ飯舘村らしいというか何というか。去年は桜の開花の時期に雪が積もりましたからね。雪景色で花見という超レアなことが起こるのも飯舘村のいいところです。
さて、視察を前にしてお酒を飲みまくっているわけですが、いろんな話をするという意味ではこういう場は必要に思いますね。大船渡でも「居酒屋は重要です」と言われていたように、私もまったく同意見です。この飲み会で、須須神社に桜の植樹について話をしたら塚越さんから即答でok頂きました!!塚越さんも震災復興を願っている一人の人間であり、ここに集まっているメンバーが皆同じ気持ち。何かできないかと考えているんです。おそらく日本中にこういう気持ちの人はたくさんいて、「機会があれば支援したい」という人はたくさんいるんですよね。その機会を得ることができる人とそうでない人がいて、繋がっていくことで機会は増えていく。その機会がまたそういう機会を与えてくれる。
【縁】と【宴】なんだと思います。
私も今回の能登半島震災支援で様々なご縁を頂いた人間で、これからも能登半島の復興に携わり、復興を望んでいる人間です。色んな角度で評価されるのはわかっていますし、阿武隈クラブの活動が地域貢献や復興支援を行っている法人の為、なかなか理解されないことも多いのは確かですからね(笑) 実際のところ私は整骨院をしていますし、農業もやっていますし、事業を継承したり、業務委託を受けて仕事もしています。「何でも屋」なんて表現をしていますが、なんでもするのが地方の生き方の一つです。 今回被災した能登半島も人口減少と担い手不足、高齢化などの問題に直面していくと思います。まさに「地方の生き方」を体得していく必要があると思っていて、2000年以上の歴史を有する須須神社もこの「地方なり」の運用を考えていかなくてはなりません。ではどうしたらいい?を真剣に考えていくことが震災支援の一端でもあると思います。
先日3月22日に行われた「健やかに暮らせるいいたての会」の設立総会の様子。高齢化に伴う地域の課題や健康、医療、介護、福祉等、様々な問題がある中で、住民の生活を真剣に考えようと村長をはじめ村役場の職員、議員、公衆衛生の活動をしている発起人、住民を含め70名以上が参加した設立総会です。会長は阿武隈クラブの代表である小林美恵子、副会長は村の医師の本田先生で私も理事としてこの会に参加しています。顧問には笹川保健財団会長である喜多悦子先生に就任してもらい、しっかりとした組織を作って話し合い、一丸となって飯舘村での生活に取り組もうという意図があります。
能登半島の支援をしながら、飯舘村ではこのような活動もしていますが、「この組織は何をするの?」という反応は当然あります。住民の生活を考えてお金は稼げますか?理事になってお金は稼げますか?この活動をやってどうやって生活をするんですか? まあ、こんな風に言われたりすることも多くあって、地方の暮らし方や高齢化の話を一から説明してくのってちょっと大変なんです。でも地域貢献って生活をする中で「やるべき事柄の一つ」なんですね。こういった活動は村の存続のために必要だと思うからそういう活動をしています。村づくり事業なんて言葉もありますけど、かなり抽象的で便宜上そういった表現を使いますが、地方の課題は掘り下げればいっぱい出てきます。
ちょっと話は逸れましたが、こういう地域貢献を目指したことは様々なところで行われます。地方、被災地、貧困、内戦、人種を超えて国を超えて起こっています。日本だけの問題ではなくて、世界中にこういう問題が溢れています。いわば、助け合いって人類の生活の一部みたいなものかもしれません。でも個人個人にも任務があって生活をしなくてはならなくて、リアルを考えるとどうしても「金」の問題は出てきてしまう。でも金の問題だけに固執すると活動が成立しない。活動する人がいなくなれば、問題は増えていく。食糧難や高齢化の問題は金では解決しなくて、「金」に固執するとその問題に対して活動する人間、実行する人間をなくしていってしまいますから。するとまた問題が増えていきます。その問題に抗うことができなくなったとき、人間らしい生活や考え方が失われていくんだと思うんですよね。
見てください、この人間らしい生活を(笑) 農業で使うマルチが風で飛んじゃったので回収しています。結構な高さがあって危険な作業ですが、まあ地面が土だから大丈夫だろってことで木に登ってます。こんな風に阿武隈クラブの活動は「何でも屋」です。石川県にいると思えば、福島にも三陸にも仙台にも出没します。生活するために仙台で仕事もしますし、飯舘村の産地復活の為に農業だってします。仕事は何ですかって言われても「やるべきことをやっている」としか答えられないですが、今すべきことは「何でもやる」がこの法人の長所です。今後どんな活動になるかは社会や環境で変化していくんでしょうが、そんな阿武隈クラブIITATEをこれからもよろしくお願いいたします。
追記
視察当日、車で向かっているときの飯舘村の風景(笑)
村から下界におりるとめちゃめちゃ温かくていいんですが、飯舘村の標高と立地が生活スタイルを変えていく( ;∀;) 厳しい気候といっていいのか分かりませんが、色んなところに行っているとその地域の人たちの営みって違いますよね。地域らしさっていうかなんて言うか。金沢もとってもいい街ですし、飯舘村も好きなんです。気仙沼もいいところでした。今は多くの人にあって、多くの場所を訪れて、より多くの見聞に触れることが楽しかったりします。
実は、長男の緑(りょく)が、いわき市の海外交流事業の一環でイタリアに一カ月滞在することが決定しました。チラシを持ってきたので応募してみたら?って話をしたら行きたい!!なんて言っていて。自分から何かをしたいなんて普段あまり言わないのでちょっとビックリしたんですけど、家族と一カ月離れて暮らすなんてなかなか見込あるじゃんって思いましたね。緑は小4ですから、私がバレーボールを始めた年齢です。まあ私の子なんだなって思いながら多くの見聞に触れて、多くの感性を磨いてもらいたいなって思います。鉄砲玉の性分は私譲りなのかな(笑)
1件のコメント
菅沼栄一郎 · 2024年4月9日 12:19 PM
阿武隈クラブは、私が連載している「KYODOWEEKLY」の「よんななエコノミー」欄にも、何度かとりあげた。https://agrilab.kyodo.co.jp/2024/03/post-688.html
福島県から遠い能登半島まで支援に向かう団体はめったにないが、長田さんらのエネルギーには脱帽する。江戸時代の加賀藩と相馬藩のつながりなど、はなれてはいるが、移住などの連携はあり、能登半島の人たちが、東日本大震災の被災地を訪ねることが、今後も続くと思う。その先駆けを作った今回の多田さんの訪問は貴重だ。今度の「桜植樹」など「加賀相馬連携」の発展を期待したいですね。