珠洲から東日本大震災の現地視察 ~大船渡編~

投稿者: osadatakuya 投稿日:

今回は大船渡の視察編です。気仙沼、南三陸町は宮城県。大船渡は岩手県になります。

大船渡の視察では、一番長く対応していただいたにも関わらず写真は一枚しかとっていないという大失態でございます。文章が中心になります(笑)

会議の場所はキャッセン大船渡というところで、商業施設のなかにこういった会議室があったりします。役場の職員の方、民間の方、キャッセン大船渡の代表の田村さん等、色んな方が集まってくれました。この後は一緒にお酒の席にまでお招きしていただき、本当に感謝です。

 岩手県大船渡の復興は宮城県のやり方とは少し違います。防潮堤を早く作るということが一丁目一番地ではなかったということなんですね。とにかく「トライ&エラー」をひたすら繰り返したと全員が口をそろえて言っていたところですね。高台移転の為に土地を探すといえば市長がヘリに乗って探したり、不動産屋さんを集めて情報を集めたり、本当に動き回ってきたということを言っていました。結構ラフな会談だったので、おもしろいエピソードもたくさん聞けました。消防団の活躍がかなりあったみたいです。消防団って地域によって温度差がかなりあるかと思いますが、大船渡では「半分強制」的だったらしくて(笑)そのおかげで、全員が動いたのかもしれません。行政も民間も関係なし!!提案も広く受け入れて拒否する理由がなければOK!的なノリでやっていたみたいです。とにかく多くのプロジェクトがあった中で「帆走型の提案」がうまくいくケースが多かったといっていました。

 とにかく行政や民間としてのカテゴリーではなく、人という種が力を合わせた。そんな印象の大船渡ですが、やはり力を合わせるにも話をしなくてはならない。そこで大船渡では「居酒屋」を作ったんです。これが震災復興のカギになったんですね。どんな状況でもコミュニケーションは重要で、そこから話は出来上がります。すべてのスタートは正論よりも話し合いができる環境ということかもしれません。人の基本ですよね。そんな沿線からか、キャッセン大船渡では市の土地にキャバクラがあります(笑) もちろんしっかり認可をとって営業しているわけですが、酒を飲むということに救われた経緯があるのでしょう。酒の席が復興には欠かせなかったんだと思います。これは今回視察した地域すべてに共通で、多くの方々が亡くなってそれでも前を向くために居酒屋が必要で、人のコミュニティにもお酒はあったほうがよかったのかもしれません。要は使い方なんだと思います。行政も民間もなく、人という種にその時必要なものがお酒の席であり、コミュニケーションであって、寂しさの渦に飲みこまれないような防御だったのかもしれませんね。

大船渡の役場の方にもらったこの記録誌ですが、成功も失敗も書かれている記録誌なんです。私的には復興バイブルみたいな感じなんですが、こういうのって重要だと思います。事例を多く吸い上げた大船渡ならではということなのかもしれませんが、教訓の詰まったものです。確かに震災を忘れてはいけませんし、記憶からなくすわけにもいかないですが、多くの側面から震災を評価したり今後に活かすためには考察って重要だと感じましたね。今回でいえば、酒を肯定するというか。  被災地も人間の営みがそこに合って様々な感情が色んな所に散りばめられています。全員の意見を一致させることは難しいが、同調せずとも歩み寄れたり、諦めるのではなく妥協ができたり。逆に全員同じことを言及していたらちょっと危ないなーって感じるじゃないですかww  だから歩み寄るとか妥協するとか黙認するとか(笑) これが人の社会のいいところなのかもしれませんね。

 少しとりとめのない話をしてしまいましたが(笑)
大船渡では、2011年5月1日に朝市を開催しています。震災から2カ月も経過していない。賛否両論あったでしょうが、これってすごいパワーですよね。この辺が大船渡のやってみよう感が強く感じられるところ。残念ながら画像はないんですけど、これがやってよかった事柄の一つでもあるみたいです。気仙沼もそうでしたが、2カ月もたたないうちに仕事をしたり朝市をしたり。じっとしていられない心境を伺うことができます。もう東日本大震災から13年も経過していますから、現地の人は当時のことを話す機会もあまりないそうですが、忘れているわけではなくて再建した街と再建した家に住んで生活をしているというごく普通の人の営みをしているそうです。何でもかんでも13年前の話に繋げていこうということも今ではあまりないのかもしれませんね。

 今回の視察を通して、こうやって記事にしてみると改めて考えさせられます。ブログには書いていませんでしたが、気仙沼市にある東日本大震災遺構・伝承館にも訪れています。本当に胸が苦しくなるような映像ですが、見る価値があります。私も実家は宮城県ですが本当に多くの見聞に触れることができましたし、今回の能登半島の震災復興で須須神社の多田さんを連れてくることができて本当によかったと思います。またこれからの復興を考えると、能登半島の被災者の人にも見ていただきたいですね。「人の想いが実現した復興」を見てもらいたいです。

 今回の視察のブログはこんなところで終わりたいと思います。非常に有意義な視察で、私自身も大変勉強になりました。

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1件のコメント

菅沼栄一郎 · 2024年4月2日 3:38 PM

多田さん、長田さん、お疲れさまでした。例えば、防潮堤問題ひとつ取り上げてみても、大船渡市(岩手県)と気仙沼市(宮城県)で、市民の方々の議論をとりまく環境の違いの原因となったのはは、知事です。当時、防潮堤の高さをはじめ、被災者の方たちが議論をするのに、市町村がどれだけの時間をさいたか。結論を何か月待ったのか。「結論を急がないと、国が防潮堤建設予算を出してくれなくなる。県レベルでは、建設できない」として、宮城県知事は市町村レベルの結論を急がせました。岩手県知事は、これに比べて、住民の議論を見守る余裕が目立ちました。国家予算の締め切りが、両県で違ったわけでもないのですが。ただし、気仙沼市内でいくつかの防潮堤をめぐる議論が途中で締め切られた中で、大谷海岸は例外的に、林野庁や国交省との個別議論も踏まえて、地元の人々の意見をかなり入れ込んだ防潮堤を完成することができました。数年にわたって数十カ所の防潮堤議論を追いかけた新聞記者の見方です。

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