珠洲市の復興を考えてみる

投稿者: osadatakuya 投稿日:

 先日、オンラインで多くの方々とお話する機会がありました。ざっくりいうと「復興の定義」みたいなものですね。過疎化の問題もあれば、街の維持に至るまで。街は人間なしには存在しません。人がいて街ができている。すごく根幹的な話なんですけど、能登半島の復興って、この「そもそも論」みたいなものを含んでいるかもしれないと感じました。

 そこそこ人口の多い地域にいると感じることはないのですが、集落っていうのは吸収、合併、消滅を繰り返しています。まあ言ってみれば自治ができてますか?みたいな話なんですが、これが結構深刻な問題です。正式に行政が合併するとかなら分かりやすいんですが、民間で組織されているものは惰性でやっているものを多くて、昔はこうだったとか今はやってるんだかどうだか分からないみたいなコミュニティも多々あります。高齢化が進んでいけば、街を自治をするために行っていた活動が縮小されていったり(守備範囲が狭くなるイメージ)、そんなに地元のことばかりもやってられませんし。こういった地域を元に戻すこと自体がどうなんだろうという議論もあるわけですね。もちろん、前のめりになって復興することが悪いことではないのですが、5年10年先を考えるとまた苦しい自治生活が待っているということもまた事実。何かしらの妥協点を模索することも必要ではないかと考えるわけです。

先日行われたオンラインの様子

ちょっとドライな発言もありますが、うちの代表の言葉が胸に刺さりますね( ;∀;) 復興をテーマにすると福島はいい教材になります。13年が過ぎてどうなったのか。そんなことを考えさせられます。

この動画の中にも登壇されている飯舘村の医師である本田先生も、原発のことについてわかりやすく説明していますし、七尾市に住む三村さんの言葉にも考えさせられます。集落の終活みたいな内容にも一部触れていますので是非見てみてください。

 話は少し変わりまして、前回のブログでコメントを頂いて少し感じたことを書いてみます。街で仕事をしている人と街に住んでいる人の違い。
例えば、珠洲市で仕事をして生活している人って地元の人にカテゴリーされますけど、珠洲市には住んでいるけど仕事はリモートですって人はどんなカテゴリーになるのかな?という疑問です。コロナのせいで急速に広がったリモートワークですが、これってその街に仕事がなくたって生きていける人ですよね。しかし、外貨を持ってきてくれている人で経済効果は非常に高い人です。リモートワークをしているから地域のコミュニティに参加しないってわけでもありませんし、街のためにめちゃめちゃ働いてくれるかもしれません。もちろん、その街の産業を担っているわけではないんでしょうが、一次産業の地域の人口形成からするとチャンネルが違う人ですし、非常に貴重な存在だと思います。

 田舎あるあるですが「よそ者」感はどこにでもありますし、どんな仕事をしているか理解されないと何者?感まで出てきちゃいます。まあ、母数が大きくなればそんなこともなくなって都会のような感覚になっていくんだと思いますが(笑)  本来であれば自分がしたいようにやるのが人生ですから、どんな目で見られようと問題ではないんですが、大なり小なり気にはしますよね((+_+)) かといって移住者がここに引っ越しをしますっていって却下できるわけもない。いわゆる黙認みたいな状況が考えられる。まあそんな空気は簡単に人に伝わりますから、居心地が悪くなってしまったりするんだと思います。

 今回の復興はこういうところまで考慮していきたいですよね。ノマドワーカーも農家も漁師も会社員も、みんながストレスなく生きていける地域を。完璧にってのは難しくとも、うまく融合していくことはできると思います。

 個人的には、「定住は難しい」と考えています。これは、移住のコンサルを何件かやって感じたことですが、移住のハードルも相当なものですが、定住はさらに難しくてコミュニティに溶け込むのに数年、数十年かかる可能性があって、わざわざそんな辛いところを目指して定住を考える人はいません。子供一人が成人するまで身を置かなくてはなりませんからね。であれば、

関係人口を増加させて、移住や定住はそのあとに考えてもらいましょう

というのが正解かなと思います。つまり期間を決めて仕事をしたり生活をしてみるってことです。一次産業の地域においては季節労働者が一番効率的ではないかなと考えます。

 今はいろんな形で仕事をしている人がいますから、仕事の形や雇用形態も様々。フリーランスは今後増えていくでしょうし、就職して家庭を持って、家を建てて退職金をもらって年金で暮らす。こんな方程式に当てはまる人はそんなにいませんし、特に若い世代はこの方程式になるなんて考えていないと思います。安定はない!って考えている人の方が多いでしょう。 しかし、生活の基盤を与えることさえできれば移住をしてみたり季節労働をしてみたり、そんな期間が人生の中で数年あってもいいと思いますし、非常に有意義な経験にはなるでしょう。

私も福島に移住しました。価値観が変わりましたし、人生が変わったような気がします。心が豊かになったというか何というか・・

やぎと生活なんて考えたことありませんでしたし、子供たちがやぎと遊んでるとなんか違和感がありますよね。犬や猫とは遊ばないのにヤギと遊ぶんですよね(笑)

人生の中で何年かこういう時期を生きてみるのも悪くないんじゃないかなって思います。珠洲市にもこんな感じでライトな移住とか短期間の滞在とかがあると、珠洲市の魅力を感じたり、人のマインドの変化で関わってくれるようになるかもしれません。そんな私の移住経験を活かせればいいなと思います。

最後はちょっと関係ない話になってしまいました(笑)

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1件のコメント

菅沼栄一郎 · 2024年3月8日 8:10 PM

「飯舘村と能登半島を結ぶ地図」はいいですね。車で9時間、長田さんは6時間でぶっちぎっちゃうんでしょうか。「フクシマと能登半島」の連携。小林美恵子代表(阿武隈クラブ)が、上記アーユスの報告会で言っているように、北陸と福島との関係は240年前の天明の大飢饉で、飯舘村の人口がほとんどゼロに近くなった時に、北陸から移住したそうです。今回も、ともに危機に見舞われ、13年の時差を持ちながら、復興に歩み始めた、という歴史的な共同運命があります。この地図をにらみながら、歴史を思い起こして前進しましょう。

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